番外編 クラウドワークスにて副業スタートしてみました
始めて、約1ヵ月になります。
クラウドワークスにて、副業を始めました。
始め、数件のエントリーにほとんど成約もらえず、ダメなあとすぐに諦め掛けたのですが、エントリーの仕方をまず見直しました。
~~~~【本日のポイント】クラウドワークスでの効果的なエントリー方法~~~~
結論から。
数打ちゃ当たる戦法です。
1ヵ月前エントリーの方法は、自分のPRポイントから、
どのように役に立つか、一つ一つの案件について、丁寧にエントリーしていました。
1件当たり、15~20分ぐらい掛かっていたと思います。
まず業務実績など信用出来る実績は皆無ですので、どれだけ熱意があるか。
それがポイントだと思ったんですよね。
ただ結果的に、10数件当たって成約はゼロ件でした。
そこで、数打ちゃ当たる戦法に出ました。
わたしは家庭の都合もあって、1~2時間/日ほどの時間しかPCを触れないのですが、
約1週間掛けて10件ほどしたエントリーを、約3倍ほどの件数に増やしてみました。
やり方はこんな感じです。
①対象の仕事を決める
※リスト作成から攻めました。
②リスト作成案件のエントリー文面をガチで考える
③②を貼りながら、ひたすらエントリーしまくる
クライアント側もどこまで求めているかですが、
まずはこんな感じでやれるとよそうです。
現在進行形で進めてますので、早速トラブルも・・・。
また徐々に記事にして行きたいと思います。
黙って発注先を変えたら、とんでもないことになりました
購入先を勝手に変更したことがバレ、怒りの電話が掛かってきたことがあります。
「おい、お前・・・何やったかわかってるか?」
電話で開口一番、サプライヤの放った一言でした。
■今日のお題
≪≪ サプライヤに断り無く、発注先を変更するのはご法度です ≫≫
正確にはわたしの前任者の実施した発注先変更でした。
ちなみにですが、勝手に変更した製品は、プレス品※と呼ばれるモノです。
※金型を用いて、同一形状のものを、短時間で量産する工法。
従って相当数をまとめて生産し、客先の注文に合わせ随時製品を出荷するのが
通常の動きでした。
当時の資材・購買部門では、コストダウンに手段を選ばない風習が一部であり、
わたしの前任もその一人でした。
目先のコストダウンに捕らわれ、それを実施した訳です。
そんなまとまって生産する製品で、ピタッと注文が来なくなる訳ですから、
即冒頭の電話が掛かって来ました。
担当変更してわずか一か月の出来事で、何が起こっているのか理解出来ないまま、
とりあえず上司と共に、サプライヤの基へ訪問することとなりました。
そのサプライヤの社長は、当時の年齢70歳でしたが、18歳の時に創業し
一代で約30名規模の会社を創り上げて来た、いわばオーナー社長でした。
そして、今回問題となった製品は、わたしの会社と取引が始まって以来、
約20数年に渡って対応いただいてるものです。
その期間の中では、納期の問題を対応したことや、
効率化をはかるために、設備を工夫するなど、さまざまな工夫がありました。
それを、無断で注文を止めたのです。
逆鱗に触れたのは、非を見るより明らかでした。
結果、わたしは約2時間近く、サプライヤ工場の中で立たされて説教を受けるという
ことになりました。
わたし達バイヤーは、サプライヤの取り組みの全てを知ることは出来ません。
しかし、製品を納めて頂いてる以上、そこには必ず誰かが汗をかいて、
自分のもとへ届けてくれた事実があります。
そういった生産の関係や、気持ちを無視すると、先の方できっと損をすると
考えてます。
■後日談
即謝りに行ったことで、今では信頼のおける1社であります。
ほとぼりが冷めた頃、社長が言ってました。
「20代前半の子が反省してる様子見てたら、、、まあいっか。
ってなっちゃんたんだよね。ずっと怒ってると大人気ないじゃん。」
若いってめっちゃ武器です。
【熊本地震】サプライヤの被災による緊急応援
「サプライヤの工場が稼働出来ない状態になった!緊急での代品の応援をしてもらえないか!」
製造部長に、九州を拠点とした工場から緊急の連絡が入りました。
2016年4月の地震、記憶に新しい方も多いかと思います。
余りにも突然のことで、何をやっても後手。
幸いなことに、我々の関係者(自社及び、サプライヤの方々)に
死者は出ませんでしたが、水も支給を受けている状態など、
被災の状況を連日テレビで放送されるのを見て、
『自分たちの出来ることは何か』
我々資材部員も一致団結出来た瞬間がありました。
わたしの担当した品目は、九州工場で生産している機種の核になる
板金のフレームとそのサポートでした。
二つが1体となって、その機種の頑丈さを保持するものとなります。
二つのどちらかが欠けても、生産は行えない代物でした。
製造部長とは、専務取締役に属する人で、その専務から直々に
資材・購買部長のもとに、一つの指示が入りました。
「九州工場のラインストップを何としても阻止すること」
九州工場の生産機種は、量産性の高い製品で、1日当たりの損失は数百万円ほどになります。
フレームとサポートの垂直立ち上げをすべく、当時該当サプライヤを担当していた
わたしに立ち上げ推進活動の指示が言い渡されました。
その図面は板金とは思えない、精密な交差が多数入っている製品でした。
当時上司とタッグを組んで対応を進めることになった私達がまず行ったのは、
サプライヤに訪問し、ことの発端と依頼内容を伝えることでした。
フレーム:A社
サポート:B社
2社共に、被災による現状を説明させていただぎしまし。
そして、今こそ力を発揮する時と言わんばかりに、
この緊急対応を快く受けてくださいました。
(本当に難しい状況にも関わらず、この時の承諾してくれた両社長には感謝しています)
とは言うものの、溶接も多くある製品で、作ってみなければわからない溶接による変形など、
実際の仕上がり品質が予測出来ない箇所が複数ありました。
そこからは試作・検証の連続でした。
作っては何が悪いのか、検証し再度製作を試みる。
製品は生き物と言うのはその通りで、材料の違いによる仕上がりの違いや、
作業内容のわずかの違いが、公差に影響したり。
ただ、フレームに関しては3度目のトライで、溶接治具などの検討により、
何とか合格品まで持ってきてくれました。
残すところはサポート。しかし結果は虚しく4度目のトライも不合格でした。
刻一刻とリミットが近づく中、サプライヤも疲弊してみるのが、
見て取れる状態でした。
そんな中、九州工場の担当者とわたしが
コンタクトをとれたのは地震が発生して、約2週間後のことでした。
その担当者に聞いた、現地での対応は壮絶なものでした。
今回わたしの事業所に応援要請があったものは、被災を受けた製品群の中でも
ほんの一部に過ぎず、その他製品群も大量にあったのです。
被災されたサプライヤの安否状況を確認を、熊本県界隈全てに実施し、
問題があるサプライヤに訪問し、現状確認と自社に戻っての
その回復スケジュールと、通常業務の処理に追われ、
とてもでは無いですが、わたしと連絡する暇も無かったのです。
それは途方も無い激務に立ち向い、何とかラインストップを阻止するために、
奔走している資材マンの姿でした。
そして、サポートには検査治具が存在することを教えてもらいました。
※検査治具:合否の判断は、製品の測定も持って行いますが、その測定が通常の設備で
行えない。などの理由から、検査治具による測定を行うことで、合否を判断する。
後日九州の担当者と合流し、検査治具を目の当たりにした時、息をのみました。
既に検査治具はわからないなりに、作っていたのですが、そのスペックをはるかに上回るものでした。
検査治具をパスするまで、修正を行うということで、ついに製品の合格判定を
下すことが出来ました。
結果、九州工場のラインはギリギリ間に合うこととなって、
お客様へ迷惑をかける最悪の事態は免れました。
この話は、品質合格基準を決めずに製作を進めた結果、不良品の山を作り上げた
失敗談になります。
製作品(機械加工、板金、樹脂成型など)の場合で尚且つ、多品種少量生産を
行っているバイヤーの方は、こういった問題を多く抱えています。
受注を受ける都度、図面を書くために、都度品質の基準をどうする、など
決め切れないのが背景としてあると思います。
その結果、明確な基準を決めて進めてしまうことが、以上の問題に
結び付くことになります。
ゴールの無いマラソンをするようなイメージで、誰もやりたがらないのは
当然で、モチベーションの維持も到底できません。
ポイント:
品質合格基準を決めて、製作を進めること
じゃないとバイヤーもサプライヤも不幸になる
コスト交渉の回答は必ずその場でもらうべき
どんな素晴らしいネゴをしたとしても、サプライヤにその回答を持ち帰らせることは、避けるべきだと思います。
当時担当変更先で、これまでに担当した規模に比べ最も大きい、
150名規模のサプライヤとコスト交渉するシーンがありました。
当社の製品で、市場状況の変動にも合わせて、
大幅なコスト交渉をしなければならない機種があったのです。
先方は社長始め役員がほぼ全員出席することになっており、
わたしとしても、それなりの事前準備を要することとなりました。
面談の日程が決まってからは、ほぼ毎日仮説をもとにした
交渉内容の想定を上司相手に繰り返す形で、その日を迎えることとなりました。
そして当日、事前準備の甲斐もあって、想定していた受け答えにも
スムーズに答えることが出来、話の方向も当社の目的に合致する方向で交渉は
進んでいきました。
しかし、最後の最後に大きな失敗をしました。
「仰ることはわかりました。コストについて全力で取り組みを行っていきます。
ただ、現在依頼いただいてるリストの製品についての回答は後日改めて
させてもらえませんか?」
その場での回答は製品単位での再検証が必要である理由から、
持ち帰りたい旨提案があったのです。
そしてわたしはそれを承諾しました。
後日、回答があった時、達成率は約25%の結果となりました。
様々なシーンでの交渉をバイヤーである皆さんは実施されていると思います。
従ってこのケースが当てはまらないケースも往々にしてあると思います。
ただ、わたしの担当品目である製作品であり、尚且つ中小企業の方を
相手には悪手であったと考えてます。
理由は、持ち帰った際は『冷静な状態で再度コストの検討が行える』です。
どんなバイヤーが相手であっても、お客さんである取引先を相手に
交渉を行う場合、多少の緊張感があるかと思います。
そしてその緊張感を持たせ、「この回答を出さなければ(決断しなければ)
お客さんには納得してもらえない」という結果の基、最終回答をもらう
必要があると思います。
その場で回答をもらうという前提を基に交渉の準備を進めるべきでした。
そして、25%回答を上司に報告せざるを得ず、その後、大変な折檻を
受けるわたしでした・・・。
電話してるのに、誰も出てくれないサプライヤがあった時は・・・
「プルルルル、プルルルル、プルルルル・・・」
サプライヤに電話してるのに、誰も出てくれない。こんな経験ありますか?
その取引先は担当を変わって2ヵ月の企業でした。
出社した私は、前日納期品が残っていることに気付き、早速納期催促をするため、
電話をしました。
ただ呼び出し音は聞こえるも、誰も出てくれない。。。
こんな経験今までに一度も無かった私は、戸惑いはしたものの、
たまたま事務所の全員で会議でもしているのかな・・程度に思いました。
とは言え、納期遅延している製品をほっておくことは、当然許されませんので、
約1時間後、改めてその担当サプライヤに電話しました。
「プルルルル、プルルルル、プルルルル・・・」
呼び出し音が虚しく響くだけでした。
ここでいよいよ最悪のケースを想定し、当時わたしのアシスタント業務を
行ってくれていた、Y さんに担当サプライヤに訪問してもらうことにしました。
担当サプライヤまではおよそ40分ほどの距離です。
その40分間は、最悪のケースが頭にチラつかずにはいられませんでした。
Y さんからLINEが届きました。
それは一枚の画像でした。
告示書
株式会社 ○○工業
代理人弁護士 ○○
本物件の~は、全て代理人である~が所有するものであり、
一切の持ち出しを禁止します。
・・・
担当サプライヤである○○工業さんの壁に貼られた一枚の紙の画像。
それは紛れもなく、倒産を意味する文書でした。
Y さんへのお礼はそこそこに、そこまで読んですぐさま上司のもとへ行き、
担当サプライヤが倒産した旨報告しました。
部署での緊急会議が始まりました。
担当サプライヤだった○○工業さんは、メインのサプライヤというほどの
物量ではありませんでした。
ただし、その中身は多種多用の製品で溢れており、
前日納期の遅延分から数えると、直近2週間の製品群だけでも数百点の
注残がありました。
そしてその全てが、これから別のサプライヤにて生産を進めなければならず、
その途方も無い状況に、唖然としました。
そこからは、本当に戦場のようでした。
まず生産ラインの調整。
「昨日納期の製品は今日入らない!早急に生産計画の見直ししてくれ!」
「納品出来る日はいつなんだ!その予定が無いと計画を見直すのは無理だ!」
勿論、発注先を1から検討するため、当時対応が可能であった、
数社に対し、資材部員で手分けして、その日中に訪問し発注を依頼しました。
生産ラインの調整、発注先の検討を平行して行う動きを取っていました。
ただし、最も苦戦したことは、品質を満たすことでした。
わたしの担当品目は、図面を用いてサプライヤに注文させていただく、
いわゆる製作品になります。
図面というのは、ルールに従って書くことで、設計側と、製作する側の意図がずれない
無いようになっていますが、当時から数えて約10年前の弊社の図面は、
そんな意図が共有出来ないもの多数ありました。
そんな図面を新たなサプライヤに発注依頼した後、こんな問い合わせが来ました。
「この図面の構成通りには、製作出来ないよ。」
「どうやっても守れない交差が入ってる箇所がある。」
おおよその絵だけ書いて、当時発注させてもらった時に、別途擦合せをしていた?
そんな記録残ってる訳もなく、とにかく発注する前から、作れません。
作ったら作ったで不良になる。
こんなケースが山ほど出ました。
こんな図面は、設計と当時行ったであろう擦合せを1点1点する他ありませんでした。
「どんな風に使うのか」
「その使い方なら、この寸法はいらない。構成もこのままじゃダメだ」
サプライヤも巻き込みながら、設計を連れまわし、とにかく製品を納品することに
昼夜明け暮れました。
ようやく生産ラインとの調整も、落ち着いたのは、約2週間ほど経った頃でした。
これは私が初めてサプライヤの倒産に立ち会った経験になります。
たった二ヵ月とは言え、
何か予兆になる発言が無かったのか?
どうすれば気付けたのか?
そして、
数十年も付き合ってくれたサプライヤが何故、夜逃げ同然の状態で、
去ってしまったのか?
わたしは、財務状況の確認も不十分でした。
加えて訪問した時も、上司に着いていくだけ。
何か発言する訳でもなく。
サプライヤの倒産は避けるべき事態だと思います。
代償として、そこからの対応は余りにも被害が大き過ぎました。
担当して間もないことで、上司や、前任者の責任にするのは簡単な状況でした。
ただ、短いながらも、たくさんの製品を対応いただいた○○工業さんに対して、
自分でやれることはなかったのか、担当者は考え続けるべきだと思います。
「もう無理。取引辞めさせてください」
温厚だった O 社長が突然豹変した瞬間でした。
「うちの事業の中で、僕が担当している部門だけが、採算性が著しく悪いんだ!
もう無理!取引辞めさせてください!」
・・・
コスト管理がとてつもなく厳しい上司のもとへ、俯きながら相談に行くのでした。
これは、サプライヤとの信頼関係を学んだ話です。
24歳の時でした。
O社長との商売は、多品種であり多くの単発商品の発注させていただいてました。
しかしながら、
上司の指導もあり、ほとんど全ての商品に対してコスト交渉実施していたわたしの
やり方はこうです。
FAX:見積依頼
↓
FAX:見積返答
↓
FAX:希望単価定時
↓
FAX:再見積返答
↓
・・・
とてもでは無いですが、交渉とは言えないやり取りでした。
将来どうしたいかの話も無ければ、実際の原価に対する擦合せも不十分なまま、
とにかく購入金額を安くしたい。上司の承認を得たいという目的による、ただの
紙面のやり取りでした。
結果、温厚な社長が打って変わって、冒頭のいい加減にしてくれ。という恰好に
なりました。
俯きながら上司のもとへ相談に行った時、上司は様子を悟ってくれ、
個室で話を聞いてくれました。そして19時を回った頃でしたが、これからすぐに
O 社長のところへ行こう。と提案してくれました。
あの温厚だった O 社長と直接電話をした私にとっては、上司と一緒に行ったとしても、
その場を納められるのか非常に不安でした。
ただ、その上司と顔を合わせた O 社長は、笑顔こそ見せなかったものの、
少し安堵した様な表情をされていました。
その上司と O 社長は、わたしが担当させていただく数年前、担当者同士の間柄でした。
そこで培った確かな信頼が二人の間には、(揶揄でなく本当に)目に見えるほどの
繋がりがありました。
今の不満を吐けるだけ吐き出してもらい、今後どうしていくかの話に移った頃、
O 社長がその日初めて見せる笑顔がありました。
あれだけ激昂していた O 社長の笑顔を見たとき、わたしはFAXのやり取りを
猛省することを決めました。
安く買いたい、高く売りたいという真っ当な両社の目的があるため、
サプライヤさんとのコスト交渉は、衝突は必然です。
結果として、不満を持たれるケースも往々にしてあると思います。
今回はその不満な気持ちのまま、やり取りを続けてしまったこと、
わたしが不満の先に、報われるような交渉が出来なったことが、
今回の事態に至った原因だと思います。
上司の承認を得るためなんて目的で、コスト低減のお願いをしいた
わたしには当然の報いです。
そして、真に相手を思う気持ちで接することが出来た時、
そこに信頼が生まれるのだと、その上司に教えてもらいました。
「コストダウンをすることも悪な面だけではない。 」
今も勉強の日々です。
【納期遅延140件!】頭が真っ白になりました
25歳の時です。
当時私の担当していた部品の中に、以下の条件での調達を行っている製品がありました。
■調達に必要な条件
- 部品納期の3ヵ月前に材料発注
- 部品納期の2か月前に加工発注
- 1 . 2 . を行う時、最低6㌧の物量が必要
- 2,を行った後の加工発注は2週間後が最短となる
わかりにくいとは思いますが、まとめて製作をする必要があること。
連続してまとめての加工は行えない。
大きく2点問題がありました。
過去の発注履歴はおおよそこの条件下で発注が進められていましたが、
わたしが担当者となった頃、受注量の減少も重なり、発注条件を満たせない状態での
発注が続きました。
(当時担当して約半年ほどの時期。引継ぎをされてはいましたが
何故このような条件が必要とされているのか、理解出来ないまま担当していました)
当時くそったれな調達担当者というレッテルを貼られながらも、何とか自分のやれることを模索していた時期でもありました。
事態は突然起こりました。
出勤した朝、前日未検収の納期遅延が約20件ありました。
資材・購買部門の仕事は、他部門からすると「日中ひたすら納期督促している」
と言われる程、
サプライヤに対し、納期督促を行っています。
例外に漏れること無く、遅延20件に対しサプライヤに
納入可能日の催促を行っていました。
しかしサプライヤの返答は、
「約2週間後には納入出来そう」
生産ラインからすれば、全く話にならない日程でした。
午前10時には、管理部門からの電話が掛かり始め、説明を要求されます。
その日は、サプライヤに対し、とにかく状況確認を急ぐこと、
その上で納入日の前倒しを早急に検討して欲しい旨、説明し1日を終えました。
不安を抱えながらも、納入日の前倒しを行ってくれることを祈り、翌日出社した私には
更に厳しい現実が待っていました。
前日未検収の納期遅延140件。
目を疑う数字でした。しかも今回は担当サプライヤからの納入可能日が、
システム上で入力されており、それは納期1か月後の日付となっていました。
現状で、
納期2週間後:約20件
納期1か月後:約120件
このような状態となりました。
納期1ヵ月後は、生産ライン停止は勿論、お客様へ製品出荷する
納期も遅れる日であり、現地で工事をする数十人のスタッフを数日間
遊ばせるには十分な物量でした。
従って、自部門の責任者である部長始め、直属の上司、そして私に向けて
管理部門からの納期督促のメールは発信されました。
内容は
- 納期遅延の原因を時系列で説明すること
- 納入可能日の督促を迅速に行うこと
- 対策の方法を協議、報告すること
緊急会議が執り行われました。
そして、最短での納入可能日を再度、管理部門と調整すべく、資料の作成を早急に
行うこと、合わせて電話で担当サプライヤへのコンタクトを試みました。
しかし、電話口での回答は
「うちは目いっぱい製作を進めている。これ以上の短縮は無理」
現場で何か作業をされている時だったようで、一方的に電話を切られました。
社内でのわたしへの納期督促は、激しさを増す一方、
担当サプライヤの態度は余りに冷酷なものでした。
その部品を発注しているわたしは、その140件という遅延を解消する重さを
その時ズシリズシリと感じるのでした。
無理と言われたなんて報告、上司に出来る訳も無く、
とにかく何か糸口をつかむために、担当サプライヤへ訪問のアポイントを
付けるべく電話を試みますが、ようやく繋がったのは19時を過ぎてのことでした。
※17時が弊社の定時です。
日中とは変わって、(多少)穏やかなな口調でした。
「あなたの言いたいことはわかるけど、今の時点で回答出来る限界を出しているんだ。
うちに来たら状況がよりわかるんだけど、〇〇工業さん(以下 K 工業)に話を聞いた方がいいよ」
そこで初めて K 工業さんの存在を知りました。
そこは担当サプライヤに材料を卸している企業でした。
つまりまだ担当サプライヤには、加工する材料すら納品されていない
状況だったのです。
一刻を争う状況でありながらも、解決の糸口がまだ見えない私には、
藁をも掴む思いで、担当サプライヤに聞いた K 工業さんにコールし、訪問させて欲しい旨、お願いしたのでした。
電話口の K 社長の語り口調は、とても垢抜けた印象でした。
「(担当サプライヤ)の製品のことで、ご相談させていただきたいのですが、、、」
「いいけど、ありゃ難しいんじゃないかな~」
「そこを何とか!状況だけでも整理させてください!今からでもよければ、訪問させてください!」
「ははは!今から来るの!?いいよ、おいで!」
実際に訪問出来たのは、既に21時を回った時でした。
そこでお会いした K 社長に向け、自社の状況説明を始めたのですが、
わたしが2言ほど説明した時点で、K社長に話を遮られました。
「納期の問題を抱えてるのはわかったから、うちの現場で説明しようか」
言われるがまま現場に連れて行かれました。
現場に入った途端、私は絶句しました。
それはとてつもなく大きな設備の前で、大量に材料が並んでいる光景でした。
そこで K 社長に、どうやってこの材料が、担当サプライヤさんに届ける状態になるのか、一つ一つ丁寧に説明していただけました。
ここでようやく私は、6トンというまとめた物量での注文が必要な理由。
繰り返し作業を行う管理の難しさを理解することが出来ました。
事務所に戻って、タバコをふかしながらK社長は言うのでした。
「現場に来たら、何してるか一発でわかるでしょ?」
現在注文させて頂いてる明細は、同一材料ながらも、多品種であり
製品ごとのサイズはバラバラ。
要するに製作方法と合致しない注文形態であることを、
K 社長に説明いただくことが出来ました。
そこからようやく、現状打破のためのプランと、納入スケジュールの話を進めることが出来ました。
打合せが終わったのは、23時過ぎ。
ただ、何をどうしたらいいか、真っ白だった数時間前と比べれば、
晴れ晴れした気分で帰社するのでした。
結果として、担当サプライヤ、K 工業での調整の甲斐あった、
何とかお客様に迷惑をかけることなく、納期遅延の解消を進めることが出来ました。
そこから、担当サプライヤがどういった流れで製品を製作しているか
そこに紐付けて、K工業さんの製品がある動きが理解できたことで、
その流れに沿った注文とすべく、管理部門との調整を始めました。
完全に要求通りにはならなかったものの、サプライヤさんの努力もあり、
ようやく正常な流れで製品が流せるようになりました。
後日、K 社長に言われました
「あの時はなぁ~こんな時間から来る奴、どんな奴だよ!って本気で思ったよ!
でも一生懸命さは十分伝わって来たから、会おうと思った。
そうやって誰もやろうとしない方法で解決することは
君のカラーにもなるんじゃないかな。
そうやって自分のスタイルをどんどん作っていけばいいんだよ」
今では K 社長は近くを通る時、必ずと言っていいほど、
顔を出す、最も信頼のおけるサプライヤさんの1社です。